2015年9月23日

長月の夜話(1)

テーマ:芸事

 

 

守破離



芸事には「守破離」と言う言葉があります。「守」は師匠や先生の教える通りに学ぶ事です。「破」は先生の教えを破る事です。ここで新しい試みをするのです。あれとこれを合わせてみたら?先生はこうだったが、別にこうしてみたら面白いものが出来るかも?と新しい自分の芸のスタイルを模索・創造するのです。自分の個性やスタイルが出来たら「離」師匠・先生から離れるのです。これで自分の芸のスタイルの完成です。伝統芸能も過去のもののコピーをそのまま守るだけでは生き残れません。こうして変革を続けて繋がっているのが伝統や文化というものではないかなと思います。




2015年9月28日

長月の夜話(2)

テーマ:剣術

 

 

正中線

剣道では、竹刀の先で相手の竹刀を左右に弾いたり叩いたり、また相手の竹刀の上に自分の竹刀を乗せたり、下から突き上げたりします。これは相手の正中線を崩す事と、間合いの奪い合いをしているのだそうです。これは剣術にも当てはまります。相手の正中線を崩す事は、相手の体勢を崩し隙を作り出す事ですから攻撃に適しています。また正中線は人間の身体の急所が集中している所です。脳天・眉間・人中(鼻の下)・顎・喉・水月(みぞおち)・へそ・金的などが正中線上にあります。正眼の構えは正中線上にぴったりと合わせて構えます。正眼の構えは急所を守るためでもあるようです。また昔の剣客は行住坐臥に正中線を崩ずさずに生活していたそうな。



 

 

 

 

2015年10月01日 

水無月の夜話(1) 

テーマ:武道

 

 

 

 

 

残 心


スポーツと武道との違いは何か?と問われて、明確に答えられる人は少ないと思います。以前読んだアレキサンダー・ベネット著「日本人の知らない武士道」(文春新書)に、その答えのひとつが書かれていました。「残心があるかないかは、それが武道と言えるか言えないかの決定的な分岐点になる」この一文を読んで、私は長年の疑問が一気に氷解した気持ちになりました。引き続き「残心」については、このように語られていました。「残心、聞きなれない言葉だと思うが、長年、武道を続けてきた私は、この残心こそが武士道を武士道たらしめているもの、武士道の真髄、奥義だと考えている。残心は勝負を決してからの心のあり方を示す。武士道が武道の本質を示す理念ならば、残心は武道において最も根源的にして重要な教えといっていい」(中略)「残心は武士道の真髄であると同時に、私の人格形成や生活態度に根源的な影響を与えてきた。残心を知り、わがものとすることで、私たちの日々の生活、生き方は変わる」我が意を得たり!と思いました。永原師範も殺陣の指導の時には、必ず敵に向かって残心せよ、と教えています。単に敵を斬り倒した後の「敵の不意の攻撃に備えよ」と言う意味だけではなかったことがこの一文で理解できました。外国人の武道家に日本人の武道の本質のひとつを教えられるとは・・・。それだけ世界に日本の武道が広まり根付いていることの証明ですね。「残心」についてさらに深く知りたい方は、ベネット氏の著書をお読み下さい。彼の優れた洞察力と論考は参考になります。



 

 

 



2015年10月06日

水無月の夜話(2)

テーマ:剣術

 

 

 

 

 

 

手の内

居合を習い始めた頃、技で繰り出す居合刀の刃筋が通らず四苦八苦していた時期がありました。先生に「手の内はどうすればよいですか?」と聞くと「手の内が出来れば、七段・八段クラスやで」と言われました。手の内とは簡単に言うと、刀の握り方のことです。先生がそう言うほど難しいものなのかとため息がでたのを覚えています。その後、自分の振る居合刀も「ひゅっ・ひょぉ・ぱしゅっ」と風斬り音が鳴るようになりました。一応これで、居合の世界では、刃筋が通っていると言うことで、まぁ合格点に入るのですが、それでも手の内の難しい世界がありました。巻藁切りを行う抜刀道です。居合道で学んだ手の内がほとんど通用せず、自分の手の内を根本から見直さざるを得ませんでした。刀の手の内は繊細で、握り方がほんの少しでも狂うと全く斬れません。巻藁に刀がはじかれたり、斬り刺さったままになったりでうまくいきません。手の内の方法は人によって千差万別で、手の大きい人、小さい人、柄の長さ、柄の太さ、目貫の位置、斬り技によって手の内が様々に変化します。要するに自分にあった手の内は自分で修練の中で作り上げてゆくしかないのです。居合の先生は、弟子の刀や新調した刀などは1~3回振っただけで、その刀の手の内を安定させます。達人はどんな刀を渡されても、その刀で手の内を定め、使いこなすのです。それが理想ですが、まだまだひょっこの私では無理です。今後も長い修練が必要です。殺陣でも、刀の刃筋が通らないと、人を本当に斬っているようには見えません。この手の内は殺陣でも重要なのです。 



 

 

 

2015年10月08日

水無月の夜話(3)

テーマ:忍者

 

 

  

 

甲賀忍者の大学教授

三重大学と言うと、日本でも珍しい忍者研究を行っている大学です。三重県地元の伊賀市で、教授や准教授達が毎月一回忍者に関する研究発表をしています。今年、甲賀流忍者の流れを汲む忍者で、三重大学特任教授・伊賀忍者博物館名誉館長の川上仁一氏の講座を聴講に行ってきました。川上氏は非常に現実的な方で、忍者の虚と実を見極め、その中から「現代生活にはそのままでは適用できないが、うまく整理すれば役立つ可能性はある」という観点から体系立てて、分かりやすく講義をしてくれました。内容を細かくここで説明するのは省くとして、忍者の歩き方の実演ひとつとっても、私には新鮮な驚きでした。講演スタジオには120名ほどの人たちが聴講に来られ、地元TV局や外国人も来られて大盛況でした。若い忍者研究をしている人達は、皆忍者のコスチュームを着て先生の忍者の知識と体術を学んでいました。ただ、ひとつだけ残念だったのは忍者の剣術はどのようなものだったのか聞けなかったことです。忍者は映画やTVで観ると皆一様に逆手で刀を振り回していますが、実際の逆手では、受けや防御には適していますが、攻撃するにはすこぶる斬りにくいものです。次回にまた川上氏の講義を聞く機会があれば、詳しくうかがってみたいと思っています。 




 

 

 

 

 

2015年10月15日

水無月の夜話(4)

テーマ:剣術

 

 

 

 

 

 

柳生新陰流「逆風」

柳生新陰流に「逆風」という技があります。「逆風」は「九箇の太刀」の二番目の技です。新陰流でいうところの「迎え」を使って、相手に表裏を仕掛けて相手が打ち掛かってくるように仕向けるのです。相手が誘いに乗って打ち込んでくる、そこを狙ってボクシングのクロスカウンターのように相手の動きに交差させて斬るのです。具体的に説明すると、相手に大きく太刀を振り上げて、相手に打ち込む(これはフェイント)すぐに下段の脇構えに変化する。すると上体がガラ空きの隙ができるので相手はここぞとばかりに踏み込んで斬りに来る。そこを「後の先」の合わせ技で、相手の篭手を斬るのです。戦国時代には相手には鎧や手蓋があるので、下から裏篭手を狙って斬っていました。この「逆風」は、柳生宗矩のひとつ上の兄の柳生五郎右衛門宗章(やぎゅうごろうえもんむねあきら)がこの技の達人であったことが古文書に記されています。柳生宗章は、伯耆国(ほうきのくに)米子の城主中村忠一(なかむらただかず)の補佐役横田村詮(よこたむらあき)に仕えていました。ところが、その村詮が政治上の理由から誅殺されてしまいました。その息子主馬助(しゅめのすけ)が藩のやり方に抵抗したので、藩主は上意討ちを命じます。柳生宗章はその時に、主馬助と行動をともにして、上意討ちの武者を迎え討ち、甲冑武者十八人をこの「逆風」の技で次々と切り捨てて、最後は討死したと記録に残っています(玉栄拾遺)。また、そのすぐ下の弟、柳生宗矩は、大阪夏の陣で、徳川秀忠が陣地で、突然三十五名の荒武者に襲われたのを、あっという間に七名の武者を「逆風」の技で斬り捨てたそうです。柳生新陰流のおかげで命拾いをした秀忠は、息子の家光には、剣術は必ず柳生新陰流を学ぶようにと遺言しました。この「逆風」は、実戦に使える技です。ただし厳しい稽古と修練が必要ですが・・・。









2015年10月27日

水無月の夜話(5)

テーマ:日本刀

 

 

 

 

 

 

 

私の日本刀

抜刀道で巻藁(まきわら)の試斬をしますが、初心者のうちは刃筋が通らずに巻藁を叩いてしまったり、吹っ飛ばしてしまいます。また斬り刺さったままの刀を、ぐいぐいと刀を上下して引き抜いたりします。そのおかげで私の日本刀は、くの字に曲がってしまっています。日本刀は武士の魂、神聖なるものなのでこのような扱いはしてはならないものですが、素人が扱うといかんともしがたい結果になります。試斬中に曲がった刀は座布団などのクッションの上に切先を置いて、足で曲がった部分を踏んで矯正します。その後、また試斬を続けるといった按配です。幸いに刃こぼれはしていないので、砥(とぎ)に出さなくてもよいようです。一応なかごに銘が入っていて、江戸初期から中期に作刀された美濃の刀工による刀です。拵えも当時のままです。だから自分の下手くそな腕を棚に上げて、江戸時代の刀ってこんなものかなと感じています。もうこの頃には刀は戦(いくさ)の実戦を離れて、武士の腰を飾るものになっていったのではないかと思います。昔の刀は凄かったようで、折れず・曲がらず・欠けずで刀身にもねばりがあったようです。その証拠に、現在国宝に指定されている刀剣は、みな上古刀か古刀に限られています。平安時代から鎌倉・南北朝・室町・戦国時代の刀が最も高度に発達した時代でもあったのでしょう。昔から刀工らがその名刀の復元に努めていますが、なかなかに難しいようです。私の刀剣はそんなに立派な刀ではありません。油断するとすぐに錆(さび)が出るので、こまめに手入れをしています。ところが物打ち部分から刃の部分を何度も丹念に磨いたものだから、刃紋が薄れてきています(泣)。もう一度刃紋を復元しようと思ったら、刀工のところへ持ち込み、もう一度刀身に土や泥をおいて焼入れをしてもらわなければなりません。今は刃紋が消えないように、指先や布に磨き粉や金属粉などをつけて優しく磨いています。研師(とぎし)に出すとびっくりするほど高いですからね。一寸3万円とも聞いたことがあります。ともあれ、こんな私の稽古用のおんぼろ刀剣ですが、これでも江戸時代に作刀されて250年は経っています。過去の人がこの刀を伝え残したように、次の人が次世代に引き継いでくれるように今後も大事にしてゆきたいと思っています。



 

 

 

 

2016年3月27日

弥生の夜話(6)

テーマ:忍者

忍者の秘伝書「万川集川」

 

 

「万川集海」(まんせんしゅうかい・ばんせんしゅうかい)と言う、昔から伝わる忍者の本の完訳が、この度国書刊行会より\6400+税で刊行されました。全巻完訳と言うのは、この本が初めてですので、関係者の間では刊行が待ち望まれていた本です。伊賀と甲賀に伝わる忍者の四十九流の忍術を集大成したものです。今回、三重大学の忍者研究の先生方が、この秘伝書から忍者の火術をテーマに、熟練の花火師と組んで、万川集川に掲載されている方法で、火薬を調合し火術の実験を行いました。その結果がTVのニュースで特集されていました。その先生方の講座がありましたので、三重県伊賀市まで聴講に行ってきました。秘伝書の記述通り、煙玉や火炎の術などのはっきりした効果が出ていて、あながち嘘ではなく、本当の事が記述されていることが証明されました。聴講時にいただいたテキストには、この忍者が使う火術の種類や調合の結果のデータがびっしりと書かれていました。現在の忍者は、虚構と妄想と事実が混ざり合って、どれが本当か戸惑う事も多いですが、こうして大学の先生方が、科学的実証実験を重ねて、それをひとつひとつ証明して下さった事は、忍者学を進める上でも重要な事だと思います。忍者の三大忍術書と言えば「万川集川」「正忍記」「忍秘傳」の三つが有名ですが、このようにして、これからも忍者の秘伝書から科学的事実や歴史的証明がなされて行く事を期待したいと思います。



2016年4月12日

卯月の夜話(7)

テーマ:日本刀

刀剣博物館

四月某日、平日の春の陽気の中、小田急小田原線の参宮駅を下車し、渋谷区代々木の住宅街にある刀剣博物館を訪ねました。入り組んだ住宅街の中にあり、わかりにくく、近くを携帯をもって話しながら、うろうろしている10代の女の子に「刀剣博物館は何処ですか?」と聞きましたら、携帯片手に「私も今探しているとこです」とのことでした。しばらく迷っていたら、運よく地元の年配の男性が通りかかったので、尋ねると「この家の向こうです」と云われてようやくたどり着きました。公益財団法人と云うから大きい建物を予想していたら、2階建ての小さな建物でした。一階が財団法人事務所、2階が展示室となっています。10畳ほどの小さな展示室でした。個人コレクターの鈴木嘉定(Suzuki・Yoshisada / Kajyo)氏の選りすぐりの刀剣の展示会でした。かなりの目利きのコレクターらしく国宝や重要文化財クラスの刀剣ではないのですが、なかなかの粒ぞろいの凄い刀が並んでいました。刀の形態・刃紋・拵え・薄暗い展示室に青白く光る刀身など背筋がぞくっとするような美しくもあるコレクションでした。もうひとつ驚いたのは、観覧者の多くは外国人で、7割位の人が外国人でした。子供まで沢山来ていました。外国人にも日本刀の魅力や文化が知れ渡っているのか、大勢の外国人が見学に来ているのをうれしく思った次第です。ミュージアムショップで刀剣の専門書を何冊か買い漁って帰りました。駅に戻る途中で15~20人くらいの外国人に出会い、みな吸い込まれるように刀剣博物館に入って行きました。ネットでも有名な観光スポットになっているようですね。おかしかったのは、帰りの途中、行きしなに出会った少女がいまだ携帯を耳に当てながら、刀剣博物館を探していたことです。思わず笑ってしまいました。