鍋島直茂


なべしま なおしげ(1538~1618)戦国時代 戦国大名 

鍋島直茂は、人間を上・中・下の三通りに区別した。「上というのは、他人の分別を学んで、自分の分別にできる人間である」「中というのは、他人から意見をされて、その意見を自分の判断に変えることができるが、その場を過ぎれば忘れてしまう人間である」「下というのは、他人から良いことを言われても、ただ笑っているだけの人間である」人間には、こういう違いがあるということである。

 

戦は敵の案に入らぬように覚悟すべし

 

(われ)が気に入らぬことが、我(わが)ためになるものなり

 

人は下ほど骨折り候ことよく知るべし。

(主人は下の者ほど苦労していることをよく知るべきだ。決して下の者を見下してはならない)

 

下輩の言葉は助けて聞け。金は土中にあること分明

(下ほど現場で苦労しているのであるから、助けて意見を言わせ、その苦労の中から出てきた意見は必ず聞かなければいけない)

 


林崎甚助 重信


はやしざき じんすけ しげのぶ(1542?~1621)神夢想林崎流開祖 居合の祖 

居合とは人に斬られず人斬らずおのれを責めて平らかな道

居合こそ朝夕抜きて試みよ数抜きせねば太刀もこなれず

居合とは心に勝つが居合なり人に逆らふは非刀(ひがたな)と知れ


尾藤二州


びとう じしゅう (1745~1814) 江戸時代後期の儒学者 

信玄・謙信の二公は、兵を以て敵に克つことを知れども、智を以て人を服することを知らず。織田・羽柴の二公は智を以て人を服することを知れども、徳を以て心を服することを知らず<素餐録>


平家物語


へいけものがたり(成立1212~1240頃)平家一族の興亡を描いた物語・叙事詩

祗園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらは(わ)す。おごれる人も久しからず、唯(ただ)春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ。

 

賀茂川の水、双六の賽(さい)、山法師、これぞ我が心に叶わぬもの<白河法皇>


北条重時


ほうじょうしげとき(1198~1261)鎌倉時代前期~中期鎌倉幕府二代執権北条義時の三男北条政子の甥

できるだけ素直な心になって、人の教訓を聞き入れるようにしなさい。教訓として物語るほどの事柄は、すべて悪い意味のものであろうはずがない。だから十人の者の教訓に従うならば、良いことを十もすることになり、また、百人の者の教訓に従うならば、良い事柄を百する結果となるのである。そのような点を考えてであろう、孔子ほどの聖人も、千人あまりもの弟子を持って、いろいろと問答をなされた、と言うことである。人の教訓を受け入れることであるから、自分の心は水のようにしていなくてはならない。古い言葉にも「水は方円の器にしたがう」とあって、経典にも、聖賢の教えとして詳しく説かれている。くれぐれも人の言う事をよく受け入れ、教訓に付き従うようになされよ。

<極楽寺殿御消息>


北条早雲(長氏・伊勢新九郎)


ほうじょうそううん(ながうじ・いせしんくろう)(1432~1519)室町・戦国時代の武将・大名

一介の素浪人から身を起こし、妹の嫁ぎ先の今川氏の食客から出世を掴み、戦国時代初期に下克上で成り上がり、ついには関東八州を支配し、初めての戦国大名となる。後の北条家五代の礎を築く。領地の民には、年貢を下げたり、病人がいれば薬を与え、配下の兵に世話をさせたりし、領民に慕われた武将。早雲が挙兵の旗揚げをすると各地の豪族たちが続々と早雲の元に馳せ参じた。これをもって本格的な戦国時代(封建時代)へと突入して行く。 

上下万民に対し、一言半句にても虚言を申すべからず、かりそめにも有りのままたるべし。そらごと言つくればくせになりてせせらるる也。人に頓てみかぎらるるべし。人に糺(ただ)され申しては、一期の恥と心得べきなり。 <早雲寺殿廿一箇條>

 

北条早雲(伊勢新九郎)というと、だれもただ慧眼な戦将だとばかり思うけれども、あれは、また非凡な政治家だ。もと、この関東八州は室町将軍の領地で、租税の過酷なのは、日本一の処だった。おおかた七公三民ぐらいであったろう。早雲は、これを察して法を三章に約し(法律を簡略化)大いに租税を軽減したものだから、民のこれに従うのは、水の低きにつくようだった。あれが旅人の身をもって、手につばきして関八州を収め得たのは、ひとり英雄の心をみたためばかりではない。民心を服し得たからだ。         <勝海舟 氷川清話>

 


本多弾正少弼忠籌


ほんだだんじょうしょうひつただかず(17391821)

江戸時代中期の大名 江戸幕府老中格 陸奥泉藩第二代藩主 寛政の三忠臣の一人

一、媱酒(ようしゅ)は早世之地形

一、堪忍は身を立てる之壁

一、苦労は栄華の礎(いしずえ)

一、倹約は君に仕ふる材木

一、珍膳珍味は貧の柱

一、多辯慮外(たべんりょがい)は身を亡ぼす根繼(ねつぎ)

一、仁情(じんじょう)は家を修る疊(たたみ)

一、法度は僕(しもべ)を遣う家根

一、華麗は借金の板敷

一、我儘(わがまま)は國友(くにとも)に隔てらるゝ障子

  右十ヶ条常に忘るべからず                        <本多弾正少弼忠籌壁書>


松浦静山


まつら せいざん(1760~1841)江戸後期 肥前国平戸藩の第九代藩主 名君と謳われた藩主 心形刀流の剣の達人 随筆集「甲子夜話」剣術書「剣談」の著者

勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし

高慢(こうまん)と盲信(もうしん)は進歩の敵


宮本武蔵


みやもと むさし(1584~1645)戦国時代~江戸時代初期 二天一流兵法の祖・圓明流の祖

「独行道」

一、世々の道にそむく事なし

一、身に楽しみをたくまず

一、よろずに依怙(えこ)の心なし

一、身を浅く思ひ世を深く思ふ

一、一生の間欲心思わず

一、我事において後悔せず

一、善悪に他を妬む心なし

一、いづれの道にも別れを悲しまず

一、自他ともにうらみかこつ心なし

一、恋慕の道思いよる心なし

一、物毎に数奇好む事なし

一、私宅において望むこころなし

一、身ひとつに美食を好まず

一、末々代物なる古き道具所持せず

一、わが身にいたり物いみすることなし

一、兵具は格別余の道具たしなまず

一、道においては死をいとわず思う

一、老身に財宝所領持ちゆるこころなし

一、仏神は貴し仏神をたのまず

一、身を捨ても名利は捨てず

一、常に兵法の道をはなれず

 

兵法の道・九原則」

第一に、よこしまなき事をおもう所

第二に、道の鍛錬する所

第三に、諸芸にさわる所

第四に、諸職の道を知る事

第五に、物毎の損得をわきまえる事

第六に、諸事目利きを仕覚える事

第七に、目に見えぬ所をさとってしる事

第八に、わずかなる事にも気をつくる事

第九に、役にたたぬ事をせざる事

大形如此理(おおかたかくのごとくり)を心にかけて、兵法の道鍛錬すべき也

(理(り)ことわり→道理・条理の事)     <五輪の書・地の巻>

 

兵法の道において、心の持ちようは、常の心に替わるなかれ。常にも兵法の時にも少しも変わらずして、心を広く直ぐにして、きつく引っ張らず、少しも弛まず、心の偏らぬよう、心を真ん中に置くべし

                         <五輪の書>

 

心の持ち様は、心を水にして折に触れ事に応ずる心なり。水に碧潭(へきたん・深く青々としたディープブルーの淵)の色あり、一滴もあり、滄海(そうかい)もあり。能能(よくよく)吟味(ぎんみ)あるべし。

                      <兵法三十五箇条>

千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって練とする。 



毛利元就


もうり もとなり(1497~1571) 戦国時代 戦国大名

是箭(このや)一本折れば、最も折り易し、然(しか)れども一つに束ぬれば折り難し、汝ら之を鑑(かんが)み、一同同心すべし。必ず乖(そむ)くこと勿(なか)れ・・長男 毛利隆元 次男 吉川元春 三男 小早川隆景に言った、所謂(いわゆる)「三本の矢」の故事 <三家鼎則の戒>

百万一心 

一年の計は春にあり、一月の計は朔(ついたち=一日)にあり、一日の計は鶏鳴(けいめい=明け方・夜明け)にあり <名将言行録>

(いにしえ)より国を奪うものは、皆その国の大臣にて候(そうろう) <名将言行録>

謀り事多きは勝ち、少なきは負く                 


山本常朝


やまもと つねとも(1659~1719) 備前国佐賀鍋島藩藩士「葉隠」の著者

武士道と云うは死ぬことと見付けたり<葉隠>

朝毎(あさごと)に懈怠(けたい)なく死して置くべし<葉隠>                                                  

(あやまり)一度もなき者は危なく候<葉隠>                                                 

我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きることが好きである)

若き中には随分不仕合はせと成るがよし。不仕合せの時、草臥(くたびれ)たる者は益に立たざる也

(若いうちには苦労をしたほうがいい。苦労をしなかった人間はいざという時全く役に立たない)<葉隠>              

士(さむらい)は喰(くわ)ね共、空楊枝。内に犬の皮、外は虎の皮<葉隠>

修行に於いては、これ迄成就といふことはなし<葉隠>

只今が其時、其時が只今也<葉隠>

 

「武士の義について」

不義を嫌って義を立てることは難しいことである。しかし、義を立てることを至極と云い、ひたすら義を立てようとすると、却って誤りが多い。「義」より上に「道」がある。これは会得するのが難しい。この高い捉え方から見ると、義などはつまらぬものである。自分で会得できなければ、他人との「談合」が最もよい方法である。<葉隠 聞書一>

「人間の一生について」

若者は誤解するので言いたくはないが、と断って次のようにも語っている。

人間の一生は誠に短い。好きなことをして暮らすのがよい。夢の間の世の中を、好かぬことばかりして苦しんで生きることは愚かなことである。<葉隠 聞書二>

 

「志は高く」

志の低い男は、目の付け所も低い。<葉隠 聞書三>

(さむらいは)己を知る者のために死す。  <葉隠 聞書四> 


柳生但馬守宗矩


やぎゅう たじまのかみ むねのり(1571~1646) 戦国時代 柳生新陰流第二代 徳川幕府兵法指南役 大名

われ人に勝つ道を知らず、只(ただ)我に勝つ道を知る 

平常心(びょうじょうしん)をもって一切の事をなす人、これを名人というなり 

兵法は、人を斬るとばかり思うは、ひがごと也。人を斬るにあらず、悪を殺す也。一人の悪を殺して、万人を生かすはかりごと也

<兵法家伝書>    

太刀先の勝負は心に在り。心から手足をも働かしたる物也<兵法家伝書> 

勝たんと一筋に思ふも病なり、兵法を使わむと一筋に思ふも病なり<兵法家伝書>

 

学は道にいたる門なり、この門をとをりて道にいたる也。しかれば学は門也、家にあらず。門をみて家也とおもふことなかれ<兵法家伝書>

刀剣短くば一歩進めて長くすべし 

目に見るるを見といひ、心に見るを観と言ふ <兵法家伝書・活人剣>   

 

表裏は兵法の根本也。表裏とは謀(はかりごと)なり。偽りを以て真(まこと)を得る也。表裏とはおもひながらも、しかくればのらずしてかなはぬ者也。わが表裏をしかくれば、敵がのる也。のる者をば、のらせて勝つべし。のらぬ者をばのらぬよと見付くる時は、又こちからしかけあり。然れば敵ののらぬも、のったに成るなり。仏法にては方便と云ふ也。真実を内にかくして、外にはかりごとをなすも、終(つい)に真実の道に引入る時は、偽り皆真実に成る也。神祇(じんぎ)には神秘(じんぴ)と云ひ、秘して以て人の信仰をおこす也。信ずる時は利生あり。武家には武略と云ふ。略(はかりごと)は偽りなれ共、偽りをもって人をやぶらずして勝つ時は、偽り終(つい)に真(まこと)と成る也。<兵法家伝書 殺人刀 上>


柳生石舟斎宗巌


やぎゅう せきしゅうさい むねとし(1527~1606)戦国時代 柳生新陰流開祖

兵法は器用によらずその人の好ける心の楽しむにあり

無刀にて極まるならば兵法者腰の刀は無用なりけり

兵法は能なきものの業なれば口業喧嘩の基ひなりけり

兵法は弟子の心をさぐりみて極意おろかにつたへはしすな

つつしまず兵法おもてに出(いだ)しなば人に憎まれ恥やかくらん

つねづねに五常のこころなきひとに家法の兵法印可ゆるすな

斬り結ぶ刀の下ぞ地獄なれただ切り込めよ神妙の剣

万物は無に対するぞ兵法も無刀のこころ奥義なりけり

小才は縁に出会っても縁に気づかず 中才は縁に気づいても縁を生かさず 大才は袖すりあった縁をも生かす


山鹿素行


やまがそこう(1622~1685)赤穂藩の儒学者・軍学者。山鹿流兵法の祖。

君臣義あり、父子親あり、夫婦別あり長幼序あり、朋友信ありの五つの倫理は、すべての人がわきまえなければならない人倫である。しかし士農工商に携わる人々は仕事に忙しくその道を極めることができない。従って武士がその道を極めることに専念し、農工商に携わる人々の模範にならなくてはならない。そのために武士は文武両道において徳と知恵を備えなければならない。


水戸光圀


みとみつくに(1628~1701)江戸時代初期 常陸水戸藩の第2代藩主初代藩主の三男 徳川家康の孫 歴史書「大日本史」を編纂して水戸学の基礎を作る。この水戸学の思想が、後の明治維新の原動力となった。

一、苦は楽しみの種、楽は苦の種と知るべし

一、主人と親とは、無理(理屈らない)なるものと思え、下人はたらぬものと知るべし

一、子ほど親を思え、子なきものは身にたくらべる(自分自身を思う気持ちと比べてみる)、ちかき手本と知るべし

一、掟に怯(お)じよ(恐れよ)、火に怯じよ、分別なきものに怯じよ、恩を忘るる事なかれ

一、欲と色と酒をかたきと知るべし 

一、朝寝すべからず、噺(はなし)の長座すべからず

一、小なる事は分別せよ、大きなる事は驚くべからず

一、九分にたらず、十分はこぼるると知るべし

一、分別は堪忍にあると知るべし


山岡鉄舟


やまおかてっしゅう(1836~1888)幕末の幕臣 明治時代の政治家・思想家。剣・禅・書の達人 一刀正伝無刀流開祖 幕末の三舟、勝海舟・高橋泥舟・山岡鉄舟の三傑のうちの一人 江戸無血開城を勝海舟の代理人として、敵の薩摩軍の中へたった一人で西郷隆盛に会って直談判し、薩摩軍、西郷隆盛・幕府軍、勝海舟との会談を実現させ、江戸を火の海から救った影の立役者。

一、   嘘言うべからず候(そうろう)

二、 君の御恩は忘るべからず候

三、 父母の御恩は忘るべからず候

四、 師の御恩は忘るべからず候

五、 人の御恩は忘るべからず候

六、 神仏並びに長者を粗末にすべからず候

七、 幼者をあなどるべからず候

八、 己れに心よからざるは他人に求むべからず候

九、 腹を立つるは道にあらず候

十、 何事も不幸を喜ぶべからず候

十一、力の及ぶ限りは善き方につくすべく候

十二、他を顧みずして自分のよきことばかりすべからず候

十三、食するたびに稼穡(かしょく=農作業)の艱難(かんなん=苦労)を思うべしすべて草木土石にても粗末にすべからく候

十四、ことさらに着物をかざり あるいはうわべをつくろうものは 心に濁りあるものと心得べく候

十五、礼儀を乱るべからず候

十六、何時何人に接するも客人に接するように心得うべく候

十七、己の知らざることは何人にてもならうべく候

十八、名利の為に学問技芸すべからず候

十九、人にはすべて能、不能あり いちがいに人をすて或は笑うべからず候

二十、己の善行を誇り顔に人に知らしむべからず すべて我が心に恥じざるに務べく候   <鉄舟二十則>

                    

 

  

金を積んで以(もっ)て子孫に遺す。子孫未(いま)だ必ずしも守らず。

書を積んで以(もっ)て子孫に遺す。子孫未(いま)だ必ずしも読まず。

陰徳を冥々の中に積むに如かず。以て子孫長久の計となす。              <山岡鉄舟の言葉>

 

臨機応変の妙用は無念無想の底より来たる。                                         


吉田松陰


よしだ しょういん(1830~1859) 長州藩士・教育者・兵学者・思想家・明治維新の精神的指導者

松下村塾を興す。ポータハン号への密航を企てるが失敗。長州野山獄にて幽囚された。その後、安政の大獄に連座して、江戸にて斬首。享年三十歳。松下村塾にて、多くの志士達を生み、育てた。

 

夢なき者に理想なし、

理想なき者に計画なし、

計画なき者に実行なし、

実行なき者に成功なし。

故に、夢なき者に成功なし。

 

立志尚特異  志を立てるには人と異なることを恐れるな。

俗流與議難  世俗の意見に惑わされるな

不思身後業  死んだ後の業苦を思い煩うな

且偸目前安  目先の安楽は一時しのぎと知れ

百年一瞬耳  百年の時は一瞬である

君子勿素餐  君達は時を無駄にするな

 

死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし

生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし 

 

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 <辞世の句>


 以下、不定期に加筆します