実語経は平安時代の後期に成立し、子供に道徳・修身・処世・倫理を教えるための教科書として作られました。仏教関係者が作ったといわれ、作者は弘法大師空海ともいわれますが、作者は不明です。日本で千年以上も延々と何十世代にもわたって使われてきました。明治維新まで、寺子屋で子供の書写・素読・修身に使われました。儒教と仏教の思想が色濃く反映されています。千年にわたり、日本人の精神を形作った修身の教科書です。
実語教
じつごきょう
山高故不貴 以有樹為貴
山高いがゆえに貴からず 樹が有ることをもって貴しとなす
人肥故不貴 以有智為貴
人肥ゆるがゆえに貴からず 智あるをもって貴しとなす
富是一生財 身滅即共滅
富はこれ一生の財 身滅すればすなわち共に滅す
智是万代財 命終即随行
智はこれ一生の財 命終わればすなわち共に随い行く
玉不磨無光 無光為石瓦
玉は磨かざれば光なし 光なきを石の瓦と為す
人不学無智 無智為愚人
人学ばざれば智なし 智なしを愚人となす
倉内財有朽 身内才無朽
倉のうちの財は朽ちることあり 身のうちの才は朽ちることなし
雖積千両金 不如一日学
千両の金を積むといえども 一日の学にしかず
兄弟常不合 慈悲為兄弟
兄弟はつねに合わず 慈悲を兄弟となす
財物永不存 才智為財物
財持はながく存せず 才知を財物となす
四大日々衰 心神夜々暗
四大日々におとろえ しんしんややに暗し
幼時不勤学 老後雖恨悔
いとけなき時勤学せざれば 老いてのち恨み悔いるといえども
尚無有所益 故読書勿倦
なお所益あることなし ゆえに書を読みて倦むことなかれ
学文勿怠時 除眠通夜誦
がくもんを怠ることなかれ 眠りを除いて通夜に誦せよ
忍飢終日習 雖会師不学
飢えを忍んで終日に習い 師に会うといえども学ばざれば
徒如向市人 雖習読不復
いたずらに市人に向かうが如し 習い読むといえども復せざれば
只如計隣財 君子愛智者
ただ隣の財を数えるが如し 君子は智者を愛し
小人愛福人 雖入冨貴家
小人は福人を愛す 富貴の家に入るといえども
為無財人者 猶如霜下花
財なき人のためには なお霜の下の花のごとし
雖出貧賤門 為有智人者
貧賤の門に出るといえども 智ある人の為には
宛如泥中蓮 父母如天地
あたかも泥中の蓮のごとし 父母は天地のごとく
師君如日月 親族譬如葦
師君は日月のごとし 親族はたとえば葦のごとし
夫妻猶如瓦 父母孝朝夕
夫妻はなお瓦のごとし 父母には朝夕に孝行せよ
師君仕昼夜 交友勿諍事
師君には昼夜に仕えよ 友と交わりて争うことなかれ
己兄尽礼敬 己弟致愛顧
己より兄には礼敬を尽くせ 己より弟を愛顧致せ
人而無智者 不異於木石
人として智なき者は 木石にことならず
人而無孝者 不異於畜生
人として孝なき者は 畜生にことならず
不交三学友 何遊七覚林
三学の友と交わらずんば 何ぞ七覚の林に遊ばん
不乗四等船 誰渡八苦海
四等の舟に乗らずんば 誰か八苦の海を渡らん
八正道雖広 十悪人不往
八正道は広しといえども 十悪の人はゆかず
無為都雖楽 放逸輩不遊
無為の都は楽しいといえども 放逸のともがらは遊ばず
敬老如父母 愛幼如子弟
老を敬うは父母の如く 幼きを愛するは子弟の如く
我敬他人者 他人亦敬我
我 他人を敬えば 他人また我を敬う
己敬人親者 人亦敬己親
おのれ人の親を敬えば 人またおのれが親を敬う
欲達己身者 先令達他人
おのれが身を達せんと欲すれば まず他人を達せしめよ
見他人之愁 即自共可患
他人の愁いを見ては すなわち自ら共に愁うべし
聞他人之喜 則自共可悦
他人の喜びを聞いては すなわち自ら共に悦ぶべし
見善者速行 見悪者忽避
善を見ては速やかに行い 悪を見ては忽ちに避けよ
好悪者招禍 譬如響応音
好悪はわざわいを招く たとえば響きに応ずるがごとし
宛如随身影 修善者蒙福
あたかも身に影がしたがうがごとし 善を修する者は福をこうむる
雖冨勿忘貧 或始冨終貧
富むといえども貧を忘れるなかれ 或は始めは富みて終わりに貧しく
雖貴勿忘賤 或先貴後賤
貴しといえども賤しきを忘れず 或は先に貴くして終わりに賤しく
夫難習易忘 音声之浮才
それ習いがたく忘れやすきは 音声の浮才
又易学難忘 書筆之博芸
また学び易く忘れがたきは 書筆の博芸
但有食有法 亦有身有命
ただし食あれば法あり また身あれば命あり
猶不忘農業 必莫廃学文
なお農業を忘れず 必ず学文を廃することなかれ
故末代学者 先可案此書
ゆえに末代の学者 まづこの書を案ずべし
是学問之始 身終勿忘失
これ学問のはじめなり 身が終わるまで忘失することなかれ
実語教了