無双直伝英信流居合の手引き
一、居合道とは
私共がこれから学ぶ「無双直伝英信流」は、全日本剣道連盟居合や他の居合と同様に、敵(相手)を仮想
して、それに対する刀の操法と身体の運用を練習し、心身を鍛錬する武道なのであります。
二、居合道を学ぶ目的
現在、私達が居合道を学ぶ目的は、大体次の三つになると思います。
(一)身体を鍛えること。
(二)居合の技を身につけること。
(三)人格を錬成すること。
最も大切なことは、剣の理法を修練することによって、人間形成を行う道であります。身体を鍛えた
り、技術を覚えたりすることは、他のスポーツでも同じですが、居合はこれを辛抱強く長く続けること
によって、段々内面的なものに発展していくものです。昔から体をやわらかく、邪念を去って無我の境
地で行うことが居合の「極意」であるといわれています。それだけに又これは一番難しいことなのです
が、その難しいものを何とかして体得しようとするところに居合道の価値があると申せましょう。
三、現在行われている居合道の流派について
最近、全国的に居合道を学ぶ人が、急速に多くなっています。また、流派も多岐にわたっていますが、
その代表的なものを挙げてみますと、次のようなものがあります。
無双直伝英信流、伯耆流、水鷗流、無外流、神道無念流、新陰流、田宮流、等々。これから学ぶ、私共
の居合は[ 無双直伝英信流 ]とよばれ、西日本方面では学ぶ人が最も多い流派です。
居合道の始祖は、室町時代末期(16世紀半頃)、抜刀術の達人と称せられた出羽国楯岡(山形県)の住人、林
崎甚助重信(はやしざき・じんすけ・しげのぶ)であります。その後、代々受け継がれ、七代目長谷川主税之助英
信(はせがわ・ちからのすけ・ひでのぶ) 18世紀、江戸時代享保の頃の人)の時に新たに工夫を加え、流名を「無
双直伝英信流」と改めました。従って当流を「長谷川英信流」または単に「長谷川流」「英信流」など
と略称することもあります。さらに、第九代、林六太夫守正(はやし・ろくだゆう・もりまさ)は土佐藩主で江戸
勤番中に、第八代、荒井勢哲清信(あらい・せいてつ・きよのぶ)に学び、土佐に帰って之を伝えました。爾来
(じらい)英信流は、山内藩のお止流として、藩士の必須の武芸として隆盛を極めました。第十七代、大江正
路(おおえ・まさみち)は近代(明治・大正)の名人と言われ、技の名称を平易化したり、居合形、連続技などを
創作したりして、当流の普及をはかりました(昭和二年、七十五歳で没)。さらにその後、第十八代、穂岐
山波雄(ほきやま・なみお)、第十九代、福井治政(ふくい・はるまさ。いずれも故人)は、昭和初期より講師として、
度々大阪に来られて、当流の普及・発展に努められました。
四、居合道・剣道の段位と称号
私達は、全日本剣道連盟の居合道部に所属しています。剣道と同様、進歩の段階を表す「段位」が初段
から十段までありました。現在は八~一級、初段から八段までとなっています。また、居合道の貢献に
よって錬士・教士・範士という称号が設けられています。
五、日本刀と刀剣各部の名称
居合の練習は刃引きの真剣(日本刀)をもって行うものです。(初心のうちは模造刀・居合刀を使用しても
よい)居合を学ぶ上で、その用具としての「日本刀」について、常識的な知識を多少もっておく必要があ
るので、簡単に述べておきましょう。「我が国における刀剣の歴史は大変古く、神代或いは上古代に既
に鉄製の剣(つるぎ)と呼ばれる刀剣が作られていました。その後、時代の移り変わりと共に刀剣にも色々
な変化があって、丁度唯今のような「日本刀」の格好になったのは、平安時代の中期を過ぎた約千年ほ
ど前からです。(西暦900年頃にあたる)日本刀はその時代時代の戦争方式や武士の気風などの影響を受け
て、その形や作り方が変わってきました。特に1543年種子島に鉄砲が伝来した頃から急激に変化して、
現在居合で使っているような日本刀の姿になり、佩用も刃を上にして腰帯に差すような姿になりまし
た。このような刀姿を刀剣史上では「打刀(うちがたな)」と言っています。
(注)日本刀および拵(こしらえ)の各部名称は「全日本剣道連盟居合の解説書」「日本剣道形の解説書」を参
照して下さい。
六、居合道練習の用具
野球の練習にユニフォームやバット、グローブが必要なように、居合の練習にもやはり道具がいりま
す。最小限、次のような道具が必要です。これから準備するための参考までに、これらの用具について
説明しておきましょう。居合道に必要な用具としては、稽古着・袴・帯・居合刀(練習用には模擬刀でも
よい)です。居合道では、日常の稽古の時や公開の演武および試合をする場合には、必ず稽古着・袴を用
いなければなりません。稽古着・袴は剣道の稽古の時に使用している刺し子襦袢と「馬乗袴」と言
われる股(また)のある袴を用いるとよいです。帯は稽古着の上より二~三回廻して後ろで帯を結び、その
上に袴をはき、刀は稽古着と帯一重を隔てて刀を上に差し込みます。角帯か市販されている幅広の居合
用の帯を用いるとよいでしょう。居合の練習で一番大切な道具は言うまでもなく居合刀(真剣)です。初心
者は模擬刀を使用してもよいでしょう。いずれにしても選ぶときには、自分の身長に合った長さのも
の、重さのものを求めることが大切です。自分で振ってみて振りやすい重さのものを選ぶことです。寸
法を選ぶ場合には、各人の体格によって多少の違いはありますが、昔から定寸と言われている刃の部分
の長さが67cm~70cm(金尺の二尺三寸前後)位のものが万人向きで適当かと思います。できるだけ、指
導者のアドバイスを受けることです。
七、無双直伝英信流居合技の区分と名称
無双直伝英信流(これから後は当流と言います)各技の区分と技の名称は別表の通りです。表中の「正座
の部11本」は、当流の基本体系をなすものであります。そのうちで、特に一本目「前」より四本目
「後」に至る四本の技はすべての技の基本になるものでありますから、徒(いたずら)に次の技を急ぐこと
なく、この四本の技の稽古を充分に積んだ後に、初めて次の技に進むように心がけることが大切です。
八、居合道の礼式の心得
居合は、元来武道でありますから、初めは敵を倒すことに目的がおかれていましたが、その後次第に変
に応じて身を守る技となり、やがては自分を鍛え、己に克つ精神修養の場となりました。現代でも、そ
のことが大勢の人によって受け継がれています。従って、正しい心と正しい姿勢、厳然とした作法を守
って稽古するように教えられているのです。礼式は人間の真の心の働きから発するものであり、尊敬と
信頼がその根底になければ本物ではないといえましょう。真心をもって正しい礼式を行うことによって
初めて相手を理解することができ、また、自分自身の心を修めることができるのであります。昔から、
剣の修行道場では「三節の礼」と申しまして、先ずは神様に対し、次いでお師匠さん(即ち先生・先輩)に
向かい、更には同僚(友人)に対しても丁重に礼をつくすべきものと教えられていました。居合道はその上
に、精神の拠り所である「刀」に対しても敬虔な礼式を行う掟になっています。このことこそ武道であ
る居合の真髄でありまして「居合」とは礼儀そのものであると言われるゆえんであります。
これから居合を学ぼうとするものは、始めにこの精神をよく理解しておかねばなりません。
以上、文責 畑 喜与一先生 平成十八年一月一日改訂
「物をよく習い修むと思ふとも 心掛けずばみなすたるべし」
林崎甚助重信(はやしざきじんすけしげのぶ)
(1542?~1621)
神夢想林崎流開祖 居合の祖
▮居合とは人に斬られず人斬らずおのれを責めて平らかな道
▮居合こそ朝夕抜きて試みよ数抜きせねば太刀もこなれず
▮居合とは心に勝つが居合なり人に逆らふは非刀(ひ がたな)と知れ
剣道道歌
▮手の内のできたる人のとる太刀は心にかなう働きをなす
▮稽古をば疑うほどに工夫せよ解きたるあとが悟りなりけり
▮斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
▮悪念の起こるところを斬り払うこれが宝の剣なりけり
▮癖が出て弱くなったと知らずして同じ強さと思うはかなさ
▮法定(型稽古)は学ばんほどに道遠し命のあらんかぎりつとめよ
▮道場に入るべき時は身をただし心の曇りなきように
▮年ごとに咲くや吉野の櫻花木を斬りてみよ花のあるかは
千葉周作(北辰一刀流)
▮我が体は破軍の星の形にて敵する方へまはす剣先
▮極意とは己が睫毛のごとくにて近くにあれどもみえざりにけり
▮雨あられ雪や氷とへだつれどとけては同じ谷川の水
▮上達の場に至るに二道あり、理より入るものあり、業より入るものあり、何れより入るも善しといへども、理より入るものは上達早し、業より入るものは上達遅し。
松浦静山(まつら せいざん)心形刀流
▮勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし
▮高慢(こうまん)と盲信(もうしん)は進歩の敵
<直新陰流>
<梶派一刀流伝書>
▮稽古とは一より始め十に行き十より還る元のその一
▮剣術の稽古は人に勝たずして昨日の我に今日勝つと知れ